THE WORLD IS YOUR OYSTER

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星の王子さまはモラハラで殺されたのか?自分なりに考えてみた

※ここでの『星の王子さま』に関する考察は私一個人のものであり、学術的な裏付けなどはありません。あくまで素人の戯言としてお読みください。また『星の王子さま』を純粋にメルヘンストーリーとして心に留めておきたい方には本記事を読むことはおすすめしません。

 

誰もが知ってる名作ファンタジー、でも…

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 誰もが知っている永遠の名作『星の王子さま』。子供時代に読んだことがあるという方も多いと思います。私もその1人。

 『星の王子さま』は一般的にファンタジー扱いされていて、「感動した」という感想が多いですよね。多くの方が心打たれた台詞はこれでしょうか。
 
 ものは心で見る。肝心なことは目では見えない
 
 確かに物質主義の世の中では「肝心なものは目では見えない」ということは見失いがちで、多くの人の心に響くのも納得です。
 でも、子どもだった頃の私がこの本を読んだ後に感じたのはそういう感動よりもむしろ切なさで、読み返す気にはなれませんでした。子どもの私には何がどうして切ないのかよく分からなかったのですが、最近読んだコラムでその理由が分かりました。
 

星の王子さま』はモラハラで殺された?

 経済学者で且つ東大の東洋文化研究所の教授でもある安富歩氏によると、星の王子さまモラハラ(=言葉や態度で相手が無力であると思い込ませたり自責の念を抱かせることで精神的苦痛を与えること)で殺されたというのです。
 
私の見るところこれは、家庭内における女性による男性に対する「モラル・ハラスメント」が主題であり、さらにそれを助長するおせっかいやきの外部者による「セカンド・ハラスメント」によって、王子が自殺に追い込まれる物語なのである。星の王子さまは「モラハラ」で殺された!? メルヘンチックな装いでコッソリ明かされる、この世界の恐ろしい秘密(安冨 歩) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

 

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 なるほど、だから何かチクチクしたものを感じてしまったのかもしれない…でも、あくまで子ども向けの作品でなぜモラハラが繰り広げられているのだろう?安富氏は子どもへの警告と解釈しているが、本当にそうなのだろうか?
 この疑問に対する納得のいく答えを自分なりに考えるべく『星の王子さま』を読み返してみました。
 

大人になった今、『星の王子さま』を読み返してみると…

 薔薇は刺々しい態度と弱さ・優しさを巧妙に操って王子に理不尽な要求を飲ませているのに、当の王子はそれに気づかないうちに薔薇の虜になっている。そしてそんなに薔薇に傷つけられているのに、王子は悪いのは薔薇ではなく自分だと信じている…この構図はまさにモラハラそのものだと感じました。
 しかしそれと同時に、ここで「王子はモラハラで殺された」と断定するのはまだ早いとも思いました。王子は自らの死に対してかならずしもマイナスのイメージをもっているわけではないのでは?と感じたからです。ではなぜそのように感じたのか?以下に詳しい理由を述べていきますので、私の勝手な妄想に興味のある方はもうしばらくおつきあいください。
 

歪んだ愛の物語

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 『星の王子さま』を読み返していて「あ、この感じあれに似てるな。」と思い出した作品があります。それは、三島由紀夫『サド侯爵夫人』

 『サド侯爵夫人』の中で、夫人はサド侯爵の加虐趣味を間近でみてきたうえ自身も虐げられているのに「侯爵の心は純粋で美しい」と頑なに主張し続け、侯爵の加虐趣味の対象になることに愛情と幸福すらも感じている。健全で一般的な精神の持ち主からすればなんとも胸くそ悪い関係かもしれないけれど、狂いに狂ったその最果てにある恍惚は禁断の果実のようにも見え、ちょっとでも油断していたらまさに飛んで火にいる夏の虫。フラフラと吸い寄せられて身を滅ぼされてしまいそうな気もします。

 

“子ども向け”の仮面を被った“大人向けの文学作品”

 星の王子さまもこんな風に、退廃的な愛に足を踏み入れて戻れなくなってしまった人間の1人なのかもしれません。

 王子が星に戻る前のこの言葉からも、薔薇への愛情が感じられませんか?

 

 (地球の庭園でみつけた何千もの薔薇に向かって)誰もきみたちのためには死ねない。もちろん、通りすがりの人はぼくのあのバラを見て、きみたちと同じだと考えるだろう。でも、あれはきみたちをぜんぶ合わせたよりもっと大事だ。なぜって、ばくが水をやったのは他ならぬあの花だから。(中略)愚痴を言ったり、自慢したり、黙っちゃったりするのを聞いてやったのは、あの花だから。

 

星がきれいなのは、見えないけれどどこかに花が1本あるからなんだ……

星の王子さまサン=テグジュペリ池澤夏樹新訳(集英社

 

 また、作者の前書きにこうあります。

 

レオン・ウェルトに

この本を一人の大人に捧げることを許してほしい(中略)3番目の理由は、その大人は寒さと飢えのフランスに住んでいるから。慰めを必要としているから。これだけ理由を挙げても足りないようなら、ぼくはこの本をやがて彼になるはずの子供に捧げることにする。(中略)

小さな男の子だった時の レオン・ウェルトに

星の王子さまサン=テグジュペリ池澤夏樹新訳(集英社

 

 作者はつらい世だからこそ、単純な幸せではなく堕落の淵にある禁断の恍惚を友人に送りたかった(戦場に青酸カリを持っていくようなものかも。あるいはやたらポップな色形をしている脱法ドラックの錠剤)。でもただの退廃小説じゃやっぱり殺伐としすぎるし好意も表現しづらいから、メルヘンの包み紙に包んであえて“小さな男の子だった時の”友人へ送った。

 この“小さな男の子だった時の”というのが1番巧妙な、メルヘンの包み紙の素地になっていると思います。“小さな男の子だった時の”と記されているばっかりに子ども向けという前提が生まれ、壮大な誤解のメルヘンストーリーが陽炎のように現れるーー。

 

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 もちろん作者がどういう意図でこの作品を書いたのか、本当のところは作者に聞いてみないと分かりません。もしかしたら(というか多分に)本当に子どもに夢をもたせ、また教訓を与えるために書いたのかもしれません。

 でも、こういう可能性を残しておいて退廃的で耽美趣味でちょっとアブナイ妄想に耽るのもたまには楽しいものだし、もし共感してくれる人が現れたら私は本当に嬉しい…ということでここでは星の王子さまは薔薇との退廃的愛情に堕ちた1人の貴公子の物語で、それは子ども向けの仮面をつけた大人向けの退廃小説である」という私の1つの解釈を残しておくことにします。